2 新たな始まりへ
(樋口茉朝)
「よぉ。2人とも早いな」
教室に入ると、まだ7時半を少し過ぎたところだというのに、クラスの半分ほどの生徒が騒いでいた。早速樋口茉朝(女子12番)たちを出迎えてくれたのは太田和樹(男子3番)だ。
「太田くんも」
和樹はクラスの中でも頼れるお兄さん的存在で、誰か困っている人がいたらすぐに助けたくなるような、そんな正義感溢れる少年だ。剣道部で鍛えられた筋肉質な身体が眩しい。
「だって、な?」
「まぁね、卒業式だもんね」
和樹の太い眉が珍しく下がっている。一緒に登校してきた石田彩花(女子1番)がそんな彼の様子に少し困惑したような表情を浮かべていた。
最後となる自分の席へと向かった。その周りで登校途中に会った柏木雅弘(男子4番)と、彼の友達である木井祐輝(男子5番)がサッカーの話題で盛り上がっている。祐輝はとても小学生に間違うくらい幼い顔立ちで、高校生になった彼を想像出来なかった。
茉朝の右斜め前の席では笹木美智子(女子6番)が本を読んでいた。眼鏡に三つ編みといういかにも文学少女な彼女は、読書に集中出来ないのかチラチラと扉の方に視線を送っている。おそらく親友である三井千恵子(女子14番)を待っているのだろう。おっとりした美智子とクールな千恵子の2人は全くのデコボココンビだが、中学入学時からの親友らしい。
「おはよ」
茉朝が声を掛けると美智子は驚いたように顔をこちらへ向け、気の弱そうな挨拶を返した。
「茉朝、おはよー」
椅子に着席したところで、背後から声が掛かった。振り返るともう一人のおっとりとしたキャラである大月理紗(女子2番)が癒しを振りまくような笑顔を浮かべていた。
「あ、おはよー」
「私より早いなんて、珍しいね」
ゆっくりした口調で理紗が言うと、茉朝の2つ前の席に黒いリュックサックを置いて、その1つ後ろの席を勝手に借りて座り、振り返ってくる。
「最後くらいね」
理紗に影響されたのか、茉朝の口調も随分とゆっくりになっていた。
「理紗おはよ」
机にカバンを置いてきた彩花も近付いてきた。いつもこの3人で行動を共にしている。奇数のグループは苦手だったので最初は不安だったけれど、無事にこの1年を楽しく過ごせた。茉朝にとっての大事な親友たち。
「彩花、おはよ。……あっ」
彩花の奥に何かを見つけたのだろうか、理紗の顔が赤らんだ。
ほぼ同時に彩花と茉朝がその視線の先を見る。教室の前方の扉から入ってきたばかりの男子生徒。
「あ」
その生徒――高岡克巳(男子8番)も理紗に気付いたのだろう。スキンヘッドのために隠すことの出来ない耳まで真っ赤にしていた。
「行ったげなよ」
茶化すように理紗に言った。理紗の顔は先程よりも赤みを増す。
「もう!」
可愛らしく怒りながらも、彼女は克巳の所へと小走りで駆けた。空いた前方の席に、代わりに彩花が座る。
「ふふふ、ウブだねぇ。羨ましいねぇ」
自分のポニーテールの先を右手でくるくると触りながら、彩花がからかうように言った。視線の先にいるその2人は、先週から付き合ったばかりのホヤホヤカップルだ。克巳の告白シーンは鮮明に覚えている。放課後、まだ数人残っている教室で、彼は大声で夕日に向かって理紗への思いを叫んだ。今時にしては珍しい告白だと思った。
「朝からアツイなぁ」
それ程大きくないが、それでも耳につく甲高い声が教室に響いた。
「つまんないなー。陽平、まだ来ないしー」
北原明日美(女子5番)だ。一番後ろの席で頬杖をつきながら、恋人である矢田陽平(男子15番)の名を口にした。
彼女だけはどうしても好きになれなかった。いつも傲慢な態度で、やる前から「無理」だとか「面倒くさい」などと言う彼女とは合わないと思っていた。
そんな明日美の彼氏である陽平は優しくて明るい、普通の中学3年生の男の子だ。マイナスの印象は全く無い。
「おはよう、みんな早いのね」
直後、淡いピンク色のスーツを着た鈴木亜紀(担任)が後方の扉から教室へと入ってきた。
「センセ!」
付近にいた神田千夏(女子4番)と片岡瑞希(女子3番)が亜紀へと声を掛ける。この2人は先生や友達など関係ないと言う風に誰に対しても人懐こく接した。
「卒業なんてしたくないよー」
瑞希が駄々をこねるように言う。肩につく茶髪がその動作に合わせて左右に揺れた。
「亜紀ちゃんも高校来てよー」
馴れ馴れしく下の名前で呼びながら、千夏が亜紀の腕を引っ張った。瞬間、亜紀が俯いてしまう。その亜紀の目から涙が零れ落ちた。
「ちょっ、どしたの!?」
千夏がすぐに手を離す。クラス中にいる誰もが亜紀の方へと視線をやった。
「だって、だって」
泣きじゃくる彼女が自分たちの卒業を心から喜び、そして別れを心から悲しんでいるのは一目瞭然だった。
思い返してみれば彼女は本当に良い先生だった。行事ごとに自分たちと一緒に盛り上げ、楽しみ、いつも満面の笑みを浮かべていた。大嫌いだった数学の授業も、亜紀のおかげで好きになったほどだ。
「気早いんだから、センセ」
「私たち、今日が終わるまではまだこの学校の生徒なんだよ」
笑いながらフォローを入れたのは遠野実里(女子9番)と山本菜津子(女子16番)だ。2人とも千夏たちのグループで、たった今登校してきたらしい。時計を見ると、時間は既に8時を過ぎていた。
「卒業しても、俺たち先生の生徒だぜ」
「在り来たりな表現だな」
ずっと様子を見守っていた雅弘と、登校してきたばかりの佐久間幸治(男子7番)も口を挿む。
「そうね、ごめんね」
涙を拭って、亜紀は明るい笑顔を見せた。茉朝も皆も、この笑顔が大好きだ。すぐに教室内に暖かい空気が戻った。
15分を過ぎると着々と教室内の人口密度が明らかに高くなった。
教壇の前で、今度は高畑由佳子(女子8番)と水木美浦(女子13番)と柳川奈美(女子15番)が亜紀を独占し、楽しそうに談笑している。
そのすぐ横の窓際で、橋本武志(男子12番)と松本佳祐(男子14番)が野球選手のフォームを真似ながら笑い合っている。
彼らと同じグループである克巳は、相変わらず前方の扉付近で理紗と話し、今来たばかりの富田陽一(男子10番)は幼い顔立ちに目一杯の笑みを浮かべながら小走りで和樹のところへと向かった。
そんな彼らを一瞥して自分の席でペンを走らせるのは原下涼子(女子10番)だ。小難しい問題の並んだ数学のテキストを開けている。
彼女の前の席で大事そうに女の子の人形を見つめているのは新山和馬(男子11番)。それを後ろ指差して笑っているのは関良真紀(女子7番)と浜田佳子(女子11番)だ。楽しそうに彼の様子を観察している。
たった今後方の扉から入ってきた大杉達也(男子2番)に、瑞希が千夏を無理矢理率いて話しかけていた。
こんな光景が見られるのは今日でお終いだ。
時間は既に8時20分を過ぎている。それなのにまだ来ていない生徒は数人いた。卒業式なのに、ちゃんと間に合うだろうか。そんな心配をしながら、彩花の高い声に適当に相槌を打って時計を見つめていた。
AM 8:22
[残り:32人]
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